"子供について寛容になれる"ということに対しての別視点
最近啓発されて、今の状況でやっとわかったことがあります。
この考え方が一つの考え方として、なんらかの形で広がってくれたらいいな…と思います。
私は子供を持ってませんし、
将来的にという気持ちも強く持っていません。
要はすごく母性的なわけでない、
子に対してとてもフラットな感情で、
こうした感性を持つ大多数の人が
『子供がやることなんだから仕方ない』
という言葉で気分が解消される事がないことを知っています。
これは、このタイプの方は子を持たない限り、
あまり変わることはないと思いますが、
しかし、
見方を変えることはできる、
そしてこれがその人を最も強く納得させる事ができる
と思いました。
それは、
『このような事も発生する状況に居るんだから、仕方ない』
派になるということです。
これが現在、子供やお孫さんを持ってらっしゃる方には刺激的かな…と思ったんですが、
少しでも広まってくれたらいいなと思って
勇気を出して意見を書きました。
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こう思ったのは、
赤ちゃんを連れた友人を家でおもてなしした時です。
和やかにお話ししていたんですが、
急に、赤ちゃんがカーペットに盛大に粗相して、そのままシャワーを貸したことがあったんです…。
子供をお持ちの方はそんなこと…と思うと思います。
けど、その時独身だった私は全然いいよ(^^)
と言いつつ、結構ショックを受けてたんです。
この時に、子供がやった事なんだから、と言われずに、
こんな事も発生する状況だったんだから…
で、だいぶ救われたんです。
(こう思うのは、多分幼少期の私の人生が関与してると思いますが、それは置いておきます。)
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つまり、
お子さんをおうちに入れるということは、何があってもおかしくないから、
それを想定してなかったのが自分だったのだ。
本当に難しいことだったら、やらないべきだっただろう。
(→しかし、その突然の状況で驚いただけで、と特に友人やお子さんに対して特に強く思うことはなかった。つまりそういう感情だったのだろう)
と言った感じですね…。
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例えば、電車で赤子が泣いて居たとしても、
この考え方で私はだいぶ変われました。
電車という公共交通手段を選んだのだから、
子供がぐずっても、
大人同士で何かあってても、
『どんな方が乗ってたっていいでしょう』
『こんなことだって理解すべきだったでしょう』
と、想定内の出来事として寛容になる、と。
本当に全てを避けたいなら、タクシーや私的交通機関を使うべきですしね。
この考え方は受け入れ難い事もあると思いますが、
存在に対して、難しい方でも、
自分がした選択に対して、
納得したり、寛容になるなら
難しくない方も居ると思うのです。
寛容となると同時に、
『自分がした選択に対して、できる振る舞いができるだろうか』
しっかり責任を持つ事ができると思うのです。
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いつか、私や、同じタイプの考えの人が、
存在自体にもっと寛容になれる時もからと思いますが、
多分、子供を持つ時も状況から始めると思います。
『自分が子供を持つという選択をしたのだから、あんなことやこんなことや、想定外なことが起こることまで想定内だから』
それが私のタイプの穏やかになる方法です🙏
ここまで書いてて思ったんですが、
存在自体に愛を向ける、という女性的な感情というより、
プロセスに納得する、といつ男性的な思考だな🙄
と思いました。
世の中、仕方ない事に対しては女性的に片付けられがちですが、
女性でも所謂男性脳の方には、これが効くんじゃないかな…と思うのでした。
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