"子供について寛容になれる"ということに対しての別視点

最近啓発されて、今の状況でやっとわかったことがあります。
この考え方が一つの考え方として、なんらかの形で広がってくれたらいいな…と思います。



私は子供を持ってませんし、
将来的にという気持ちも強く持っていません。

要はすごく母性的なわけでない、
子に対してとてもフラットな感情で、


こうした感性を持つ大多数の人が

『子供がやることなんだから仕方ない』

という言葉で気分が解消される事がないことを知っています。

これは、このタイプの方は子を持たない限り、
あまり変わることはないと思いますが、
しかし、

見方を変えることはできる、

そしてこれがその人を最も強く納得させる事ができる

と思いました。


それは、

『このような事も発生する状況に居るんだから、仕方ない』

派になるということです。


これが現在、子供やお孫さんを持ってらっしゃる方には刺激的かな…と思ったんですが、
少しでも広まってくれたらいいなと思って
勇気を出して意見を書きました。



***

こう思ったのは、

赤ちゃんを連れた友人を家でおもてなしした時です。

和やかにお話ししていたんですが、

急に、赤ちゃんがカーペットに盛大に粗相して、そのままシャワーを貸したことがあったんです…。



子供をお持ちの方はそんなこと…と思うと思います。

けど、その時独身だった私は全然いいよ(^^)
と言いつつ、結構ショックを受けてたんです。


この時に、子供がやった事なんだから、と言われずに、

こんな事も発生する状況だったんだから…



で、だいぶ救われたんです。
(こう思うのは、多分幼少期の私の人生が関与してると思いますが、それは置いておきます。)



***

つまり、

お子さんをおうちに入れるということは、何があってもおかしくないから、

それを想定してなかったのが自分だったのだ。

本当に難しいことだったら、やらないべきだっただろう。
(→しかし、その突然の状況で驚いただけで、と特に友人やお子さんに対して特に強く思うことはなかった。つまりそういう感情だったのだろう)

と言った感じですね…。


***
例えば、電車で赤子が泣いて居たとしても、
この考え方で私はだいぶ変われました。


電車という公共交通手段を選んだのだから、
子供がぐずっても、
大人同士で何かあってても、

『どんな方が乗ってたっていいでしょう』

『こんなことだって理解すべきだったでしょう』


と、想定内の出来事として寛容になる、と。

本当に全てを避けたいなら、タクシーや私的交通機関を使うべきですしね。


この考え方は受け入れ難い事もあると思いますが、

存在に対して、難しい方でも、

自分がした選択に対して、
納得したり、寛容になるなら
難しくない方も居ると思うのです。

寛容となると同時に、

『自分がした選択に対して、できる振る舞いができるだろうか』

しっかり責任を持つ事ができると思うのです。


***
いつか、私や、同じタイプの考えの人が、
存在自体にもっと寛容になれる時もからと思いますが、

多分、子供を持つ時も状況から始めると思います。

『自分が子供を持つという選択をしたのだから、あんなことやこんなことや、想定外なことが起こることまで想定内だから』

それが私のタイプの穏やかになる方法です🙏


ここまで書いてて思ったんですが、

存在自体に愛を向ける、という女性的な感情というより、
プロセスに納得する、といつ男性的な思考だな🙄

と思いました。

世の中、仕方ない事に対しては女性的に片付けられがちですが、
女性でも所謂男性脳の方には、これが効くんじゃないかな…と思うのでした。

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